>>English

第1章 妖精


第1章 妖精

「君は妖精の存在を信じる?」

私の物語を語る前に、誰にでも必ず聞いている質問だ。

君の性別・年齢・人種・国籍・経歴・宗教・政治から趣味だとかホットケーキよりワッフルが好きなんだとか一切問わない。

そんな事は妖精にとってため息が出るほどどうでも良い事だからだ。

いや、ホットケーキとワッフルどちらが好きかは妖精によっては議論する必要があるかもしれない。

君の回答については今はまだ胸にしまっておいてもらって、読み進めた後に教えてほしい。


私が初めて妖精に出会ったのは4歳の頃だ。

最初はまた夢を見ているんだと思った。だってそんな"変"な事って4歳の私でもおかしいと思った。

でも妖精によって現実が変わっていくのを目の当たりにすると、私にとって妖精は真実の存在になったんだ。

どういう事かと言うと、お腹が空いたら妖精が空腹を満たしてくれて、寂しい時や怖い時は慰めてくれて、苦しさや痛い時は癒してくれる。


君は私が頭のおかしい人かなんかだって思うだろう。

私が子供の頃、私の周りの人にそれを話した時の顔を私は覚えている。

君が妖精の存在を信じていないのなら、君の顔を私は知っている。

君が妖精の存在を信じているのなら、私は君の顔を知らない。


私にとって妖精はどんな現実の問題も解決してくれて、そして妖精が私に生き方を教えてくれた。

食べ物、お金、物、地位・名声、人脈、力、人さえも望めば与えてくれた。

時には命さえも救ってくれた。普通ではあり得ない力が私を支えてくれた。

でも妖精は明らかに"変"な存在だった。普通じゃない。少なくとも周囲の人間にとっては。

私の感覚は幼い時から周囲とずれていた。これがどれだけ危ない事かは知っている人は知っているだろう。

妖精は今も共に生きている。いや、妖精が生きていると言えるかは微妙なところだが…。


妖精について知らない人は妖精がどんな姿だとかどんな言葉を話すのかとか気になると思う。私の想像だけどね。

ピーターパンのティンカーベルのようなのをみんなが思うだろうけど、私と一緒に居る妖精は基本的にこれといった実体があるわけじゃない。

面白いことに姿はその時々で変わるんだ。私が望もうと望むまいと色々な姿にね。

不思議なことに大きさも一定じゃないんだ。今これを書いていて実際どうやっているんだろう?と疑問に思ったね。


そして妖精は私たちが知っている言葉を話さない。

これは多分というか…私は確信していることで、私が出会ってきた妖精が見える人にも共通して見られたことで、どこかの偉い学者の本にも書いてあったことなんだけど…

妖精が見える人たちを私含めて"私たち"と呼ばせてもらうね。

私たちと妖精はそもそも言葉が主言語では無い。私たちにとって言葉っていうのは神聖なものでおいそれと多用していい物じゃない。

じゃあどうやって意思疎通するのかというと、そもそもある程度の意思疎通は一緒に居るだけで出来る。ある人はそれをテレパシーなんてすごいことのように呼ぶけど、普通の人だって一緒に居て心地良い人だとか居心地が悪い人だとか感じると思う。それの延長のようなものだと感じてほしい。

もちろんそれで完全な意思疎通が出来るわけじゃない。意地悪な人はここで色んな試しの質問を投げかけてくるだろうけど、そもそも完全な意思疎通が必要なことっていうのは稀だ。


一緒に居る以上に一歩進んで意思疎通が必要なとき、私たちや妖精は音や色や形でそれを表現する。

私は音で表現するのが得意なんだけど、他の人の色や形を見てきたからある程度は他の伝え方もわかるし、他の人や他の妖精も例えそれが初めて見たり聞いたり感じたりする物だとしてもある程度は伝わってくれる。

基本的にはこれで十分なんだ。

もしそれを超える意思疎通が必要なときは言葉を使うけど、さっきも言ったようにたくさん使っていいものじゃない。

これを書いているのは2022年だけど、見渡してみると言葉が溢れて溢れて世界が苦しそうになってるほど言葉が使われてしまっているけどこれは私たちにとって好ましいことじゃない。


少し話が妖精からそれてしまうけれど、私たちが何故言葉を神聖としているのかはもちろん理由があるんだ。

私が今こうして書き表しているこの文も言葉だし、世界には必要な言葉もあるんだけど…そもそも言葉はしっちゃかめっちゃか使われていいものじゃないんだ。

今の世界を見渡せば誰にでも分かると思うけど、時が過ぎればこの景色も変わるだろうし明言するね。


世界は今混乱しているんだ。

コロナウィルスの蔓延やロシアとウクライナの戦争ももちろんそうだけど、それより前…確か2005年ごろから混乱し始めた覚えがある。

どういう混乱かと言うと言葉が言葉としての役割を果たさなくなってしまった。

2022年現在まだ辛うじて言葉は役割として機能しているように見えるけれど、それは短い蝋燭のようなものでとてもか弱いものとなってしまっている。

ある人はこの世界を"騙し合いの嘘つきの世界"だなんて言うし、ある人は言葉が溢れた世界を"新しい進化した世界"だなんて言う。


どちらも確かに今の世界を捉えているから間違いではないんだけど…うーん…私としてはナンセンスだなと感じる。

どちらにも言えることとして言葉の乱用があると私たちは主張したい。


今より言葉が少なくなれば"騙し合いの嘘つきの世界"は今より改善されると思うし、"新しい進化した世界"については私たちの目からは間違った進化をしているように見えるんだ。

IT化が進み、AIが発達し、ゲームや動画といった楽しいコンテンツが増えて、仕事は効率化され、どんなものも手に入るのが正しい進化なのだろうか。

…いや、ごめん。これは私の感情だ。

でも好きなだけ欲しいものがなんでも手に入って、好きなだけ満たしたいだけ満たされることは逆説的に何も手に入らず、何も満たされないことだと思うんだ。手に入るものと手に入らないものがあること、満たされることと満たされないことがある状態がバランスが取れている。


言葉はそのバランスを簡単に崩せてしまうんだ。

だから多くの人は"進化"を求めて言葉を片方にたくさん注ぎ込んでしまっているのが今の現状だ。

…これってとっても恐ろしいことだと思わない?

だから言葉は多用してはいけないし、神聖視するべきなんだ。

妖精と私たちはそれを守ってるし、本当ならみんなが守った方がいいんだけど…どうも世界はそうにはならないらしい。

進化が悪だとは全く思わないけど、妖精と私たちは言葉を彼らとは反対側の天秤に乗せるためにここに記すんだ。

もっとも…彼らと同じように言葉を使わなくちゃいけない事と、この言葉がどれだけ天秤をもとに戻せるかというのは私たちの限界を感じてしまうけどね。

そんなことを律儀に守っているのが私たちと妖精さ。